最短・最速である必要が分かった。【書評】『ブチ抜く力』
なぜ、与沢翼は最短・最速にこだわったのか?
やってみて分かった。
与沢翼が提言している、最短・最速であることのメリットは、
どんな小さな内容も、最短・最速を目指すことで難易度がグッと上昇するからだ。
難易度が高い目標が設定されると、今のままではダメなことが浮き彫りになってくる。
ここがキーポイントだ。
RPGでゆっくり綿密に準備するか?
最短・最速を求めると、今、なにをするべきかを否応でも考えなければならない。
無駄なことをやっている暇はなく、行動に必要な武器をある程度揃えたら、即出発だ。
もちろん、ボスに倒されたら武器やアイテムを揃え直す。
やられるかもしれない、もっといい武器があるかもしれないなどと、ネットで調べている時間があったら、手持ちの武器でとりあえずボスのところに行ってみる方が早い。
RPGでは、早く次のストーリーが見たいというモチベーションで自ずと最短・最速を目指すことになる。
期間を短くすることで、自分にとって最適な難易度調節がなされる。
最速でやる、ことが君を勇者にするのだ。
積読を回避する方法はこれだ
僕が本を積読してしまう時は大まかに2種類。
複数の本を同時に購入した時
本は同時に購入してはいけません。どちらも読めないことはおろか、1冊も読めないことは日常茶飯事です。
Amazon、メルカリ等で時間差で本が届く時
個人的に本は新鮮さが大事です。読みたい!と思ってから時間が経つと、全くの無関心になることも多いです。
じゃあ積読しないためにどうする?
本屋で手に取った本を買い、その足でカフェに行き、読みきる
これが確実な方法です。ある程度立ち読みしてから読むことで、かなり成功率は上がります。
図書館等で借りる
返却期限が決まっていると、かなり読める確率は上がります。このとき、複数冊借りることはオススメしません。1冊借りて読み、また返すときに1冊借りればよいのです。
最近、要約系の動画が来ている
YouTubeで気になる本を検索すると、有名なものであれば要約動画が上がっていることがあります。
これはまさに、無料のAudibleのようなもので、しかも内容が動画とともにまとまっており非常に優秀なものが多いです。
自己啓発系のものであれば、このような動画を見るのもオススメです。
あなたはやりたいことを「ブチ抜いて」いるか?【書評】『ブチ抜く力』
本屋で目に止まったのは、与沢翼さんの『ブチ抜く力』。
ガツンと金槌で頭を打たれたようなそんな衝撃を受けた。
一つのことを「ブチ抜くこと」それが成功の秘訣
結論から言うと、
与沢さんは、「一つに短期間で集中して取り組む」ことが一番であると述べている。
「短期間」であることが強力な力になる
短期間であることになんのメリットがあるか?
「短期間」であればモチベーションが続く
長期間コツコツ、というのはなかなかモチベーションが続かない。技術的にも精神的にも障害が多いことは皆さんもよく経験しているだろう。
短期間、であるが故に、モチベーションが失われる前に結果が出せるのだ。
「短期間」で成功すれば、注目される
あなたは、1年で10kg痩せた人の話と、1ヶ月で10kg痩せた人の話ではどちらの人の話が聞きたいだろうか?
短期間であることが、より大きな利益を生み出すのだと与沢さんは主張している。
あなたは「ブチ抜いて」いるだろうか?
「ブチ抜く」とは、一切の妥協なく全身全霊で行動すること
与沢さんは、「やると決めたのなら、あらゆるものを犠牲にしてそれに注力せよ」と述べている。
ダイエット中には、一切の友人からの誘いを断り、本当に支障が有るならば仕事でさえ辞めてしまえと。
しかし、そんな極端なことができる人が世の中にどれだけいるだろうか?
普通の人間であれば、ダイエットごときで仕事が辞められるはずがない。
ここが与沢翼さんの普通と全く違うところだ。
起業家、投資家魂のあるところといっても良いかもしれない。
結果を出すためには、不要なことは一切切り捨てる。
これが出来る人間が弱いわけがない。
あなたは覚悟しているか?
逆にいえば、その覚悟ができるくらい本心でやりたいか、やれると確信できるかが大事なのではないだろうか?
出来る、と決心し全身全霊で打ち込むこと。
シンプルだがそれが最高の法則なのだ。
【不安】漠然とした不安に襲われたときの対処法【どうすれば】
原因が分からないけど不安、なんだかやる気も出ない、なにをすればいいか分からない。
社交不安障害(SAD)、うつ病を併発している私は定期的にこの状態になってしまいます。
しかし、本当になんのきっかけもないこともあるのです。
理由がなく、不安になってしまうこともあることを受け入れる
不安や憂鬱な気持ちに、必ず理由があるわけというではありません。
そんな時、大切なことは、
目の前のほんの小さなことが
-
どう見えるか
-
どう感じるか
-
自分は何ができるか、何ができないか
を知ることです。
理由を探っても何も出てきません。
不安をやみくもに解決しようとしても焦っても何もできません。
自分が今、どういう感情なのか。どう感じるかに集中し、その気持ちを尊重してあげることです。
即効性のある解決法はない
はっきり言って、すぐに何とかできるようなものではありません。
最近の僕は、
ただ、波が過ぎ去っていくのをゆったりと待つこと
ができるようになりました。
それでも、辛いものは辛いですが、自ら沼にはまっていくことは減ってきました。
受け流す技術を高めていきましょう。
上達のコツは、「真似る」だけではダメ
「学ぶ」とは「真似る」から来ている。だから徹底的に上手い人の所作を真似るべきである。
という話を耳にしたことはあるだろう。
確かにその通りだ。全て自分で1から作り上げる必要はない。そんなことをしていたら人生なんてあっという間だ。
ただ、「真似る」ということに対して、あまり具体的に言及されていないように思われる。
私は「その到達までのプロセスを追うように自分で工夫して試行錯誤する」ことが上達のコツなのではないかと思っている。
特に、受験勉強なんかで起こりやすい。
いわゆる、「応用ができない子」なんていうのはここがミスっているのだ。
解法の丸暗記をしてしまう。勉強つまらんなーと思っている子。でもやたら真面目だからある程度は点が取れる。
解法を書くことを真似る(覚える)ことはできる、ただ、それがなにを意味しているのかを理解していない。
そういう子は、的を射た質問をしてこない。
これは( )が必要なんですか?とかどうでも良いところに目が向いてしまう。
何かでつまづいてるな、と思い見てみると、基礎的な計算や、問題文の整理ができずに止まっている。(ただ、これは教育上の問題な気がする)
これは子供の例だが、大人になってもこれに陥っている人は多い。
たとえば、あなたが、太くたくましい腕になりたいと考えて、筋トレをしようと思ったとしよう。(これはあくまで例えなので筋トレに関する細かいツッコミはご容赦いただきたい)
巷には沢山の「腕を太くする筋トレ理論」があるはずだ。
そこで「腕を太くしたいならジムへ行け。」と書かれているのを目にする。
えっ、家での腕立て伏せじゃダメなの?ジムじゃなきゃダメ?でもお金がなーとか、近くにないからなーとか思うわけだ。
ここで大事なのは、
「なぜその人が、ジムを推奨しているのか。」を考え、「自分で試してみる」ことだ。
家でも、ジムでできるのと同じ負荷で筋肉に刺激を与えることができるのならば、ジムと同様の効果が得られるだろう。と考える。
家で同じようにやるためには、相当な重量のダンベルが必要だが、他人に見られずに出来ることがあなたにとってはやりやすいかもしれない。
家でやってみたら、モチベーションが上がらずに続かなかったが、意を決してジムに行ったら、お金を払っている分頑張れるかもしれない。
結果的に、「推奨されていたことを踏まえつつ、自分で工夫してやってみたところ、やっぱりジムが良かった」というゴールに到達すれば良い。
このやり方には2つの良い点がある。
1つは、「自分で自発的に工夫していく中で楽しく行うことができる」ことだ。
人は、自分で工夫してやってみて、成長することに快感を覚える。知識全くゼロから始めるのは時間がかかってしまうが、指導を踏まえた上で自分で試してみることが一番である。
2つめは、「この方法は本当に正しいのだろうか?」という不安がなくなることだ。
盲目的に真似をして、効果がなかったとき、自分ではどうしようもなくなってしまう。
しかし、この方法では、自分で、「ジムに行った方が良いのか」を検証しているのだから、その不安はなくなる。
仮にこの指導が間違っている場合も、自分で修正することができる。
上達のコツは、教わった結論をそのまま真似ることではなく、その結論を前提に自分で工夫をして試してみることである。
「やらなきゃ」を「やりたい」に変えれば、効率もメンタルにもいい
日々「やらなきゃいけないこと」に追われていないだろうか?
やらなきゃいけない、と思って行動するのは労力も精神力も使ってしまう。
自分が持っている「やりたいもの」「なりたいもの」に結びつける
例えば、
「勉強しなきゃ」「得意じゃないが、この仕事をやらなければ」と思っているとしよう。
もしあなたが、「周囲の人から認められたい」と思っているのであれば、(例えがゲスいが)
「この勉強/仕事をこなせば、評価が上がる」
と思ったらいい。
さらに工夫するならば、
「どうしたら与えられたこの作業を、もっと周りに評価されるようにできるだろうか?」
と考えるとずっと面白くなってくる。
「与えられたもの以上のことをしてみる」「あえて仕事している姿を見せるようにアピールをする」とかが考えられるだろう。
私は、自分のやりたいこと/なりたい人物像をメモ帳に書いて持ち歩いている。
この行為に意味があるのか?などと行動をさせないような考えが思いついてしまったら、すかさずこのメモを見るのだ。
あ、そうだ。自分はこんな人間になりたいんだった。と思い出せれば、大抵のことはできるようになる。
能動的に行動すること、これが効率的に、そしてメンタルに優しいやり方である。
分かりやすく伝えるためには、噛み砕くだけではダメ
私が人に何か知識や技術を教えるとき、気を付けていることがある。
それは、「まず、相手の知識を確認することである。」
加えて、相手の持ち合わせている知識に合わせて、その知識の少し先を話すようにして情報を伝えてあげると、グッと理解されやすくなる。
人間は、自分の知らないことは知りたい。しくみが分かると気持ちいい。と感じてしまう生き物なので、このような伝え方をするだけで、相手の食いつきが全く異なってくる。
分かりやすく相手に伝えるためにすることは、簡単に簡単にかみ砕くことだけではない。
細かく砕かれているものは、だれにとっても飲み込みやすいが、人によっては食べ応えがない。
大切なのは、
相手が飲み込みやすい、「適切なサイズの情報」を与えてあげることだ。
授業や人の話が聞けない人は、この方法を試してみて欲しい
私は人の話を聞くのが苦手だ。
いや、コミュニケーションを取る能力がないわけではない。むしろ、聞き上手と言われることも多い。
ただ、一方通行の音声情報になったとたん、するりするりと頭の中を通り抜けていくのである。
未だに、会議や授業のような場で非常に困っている。
今日は、そんな中で自分が今試していることを紹介しよう。
それは、「相手になりきる」ことである。
どういうことかというと、例えば、高校の授業のような、1対多数の講義であれば、どうしても先生だけが一方的に喋る形になってしまう。
そういうとき、私は、「先生になりきって」先生の話のすぐ後に復唱する形で話を聞いている(話している?)
ただ復唱するだけでは記号の羅列になってしまい、全く頭に入ってこない。
ポイントは、「自分が、誰かに伝えるような気持ちで」復唱することだ。
授業や会議が聞けない人は、ちょっと試してみて欲しい。
【今日の一文】
「講義形式の話を聞くときは、相手になりきって話すように聞け!」
そのストレス解消、意味ないです。
皆さんは、ストレス解消のために遊んだり、暴飲暴食したりしていないだろうか?
本当に、その行為によってストレスが解消できているだろうか?
私は家事を後回しにしてしまうことが多い。
キッチンには皿の山。使えるコップがなくなってようやく洗う。
洗濯もやりたくなさ過ぎて4.5日に一回で、
やばい!!今日履く靴下がない!!!!
ってなってからようやく洗濯機を回していた。
やばいな、と思いつつも人に迷惑をかけているわけではないし、ずっとこんな生活をしていた。
しかし、それが常にストレスになっていたのだ。
後回しにする。これが最悪である。
後回しにすると、人間はそのことをずっと頭の中で考え続けてしまう。
つまり、私は常に、
「皿洗いしなきゃ....」
「洗濯機回さなきゃ....」
と考え続けながら生きていたのである。
そりゃーほかのことにも集中できんし、ストレスもたまるよね!
私が思うに、一番のストレス解消法は、
「ストレスの原因を探し、解決すること」
である。
この考えになってから、ストレスに向き合う行動を断然取りやすくなった。(本当に!)
家事は1分でできることはその場でやるし、洗濯はあんまり溜まっていなくても毎日することで、後回しにするという感覚をなくすように努めた。
ストレスは、逃げれば逃げるほど追いかけてきます。
【今日の一文】
「ストレスと向き合うことが、一番のストレス解消法である!」
何をやりたくないかが大事
何をやりたいか?
を考えるとき。それだけでは何も出てこない人がいるだろう。自分で、何をしたいのか分からない、というのはザラだ。
そういう時は、
何をやりたくないかを考える。
のがコツである。
そして少し深掘りしていく。
「人と話すのが苦手」で、人と話したくないと思うなら、
一歩踏み込んで、
「どういう人と話すのが苦手なのか?」
「どういう時、苦手だと思うのか?」
を考えてみよう。
「自分より年上の人と話すのが苦手」
「自分の意見が上手く言えないとき」
という答えが出たのなら、
あなたは、「自分と同年代の人と話すのは平気」なのかもしれないし、「話を聞いてくれる人の前では、話をするのが好き」なのかもしれない。
「やりたくない・できない」をまずはもう少し細かくしてみよう。
「やりたくない」が見えたら、「やりたくないことをしないためにすべきこと」が見えてくる。
それが、やりたいことに繋がっていく。
気負わずにちょっとやってみる。が物凄い力を発揮する
ちょっとだけ本を開いて、ページをめくってみる。
ちょっとだけコップを洗ってみる。
ちょっとだけストレッチをする。
ちょっとだけ、やってみる。
それだけで、刺激が加わってやり続けられたり、少しでも経験が得られる。
その繰り返しが大事なのかもしれない。
ブッダの本当の考えは何だったのだろう?
日本の仏教は、大陸を渡って来る頃には相当変遷していることは、よく知られている。
事実、僕は日本仏教をはじめとする仏教の考えがいまいちしっくりこないな、と思っている。
細かいことを引用して書く気力がなく、申し訳ないが、簡単に言うと、
ブッタは、とにかく、
「苦しまないためには執着をなくせ。こだわりを捨てろ。物事はすべて関係性の上で成り立っており、そこに優劣もなければ、意味もない。」
ということに気づいたのだと解釈(というか想像)している。
ブッタは、「自分(ブッダ)のことを崇拝してはいけない」と言っているという文献が残されている。
これは、ブッタを崇める対象にしてしまえば、それは一種のこだわりである、と考えているのではないだろうか。
ブッダは宗教を興そうという考えはなかったどころか、真逆の考えを持っていた可能性がある。
「面白い」には集中することが必要だった
うつ状態になって、困ったことがある。
目の前にゲーム機が見える。ちょっとやってみようか、と一瞬思うが、すぐにゲーム中の虚しさや、他にするべきことをしていないのにゲームをするなんて、という罪悪感でゲームの電源すら入れることができない。
一日に一つくらいなら、外出して用事を済ますことができるが、家に帰るとダウンしてしまい、ひたすら寝るか、YouTubeで動画を垂れ流している。そうでなければ、自然と涙があふれて止まらない。Twitterですら、友達が健全に社会生活を送っているのを見て病んでしまい、なかなか開けないでいる。
こんな状態でもYouTubeを見ているのは、自分の思考をストップさせるためでもあるが、少しでも「面白い」を求めているのだろう。「面白い」と思うには集中力がいる。集中すると、その対象にしか思考を向けられなくなる。
ただ、家にいてひたすらYouTubeを流し続けると、何をしていても集中が持っていかれて他の行為に集中できず、気持ちが落ち込みやすいことも分かった。
思い切ってマルチタスクをやめることが、新たな「面白い」に繋がるのかもしれない。
わんこら式がうつ状態に効いた話
ご無沙汰しています。
12月から、かなりのうつ状態に陥り(まだ診断は受けておりません)、寝込むことが多くなってしまいました。
その中で、最終的に意識して良かったことは、わんこら式の考えでした。
ここでのわんこら式とは、
・わんこら率だけを意識する
・うわー、とかやだなーとか思ったらやめる
・今できそうな、小さな目標を設定する
・一つ達成したら、「やった!」と喜ぶ
基本的にはこの4つの考え方です。
それでも、無意識に涙が出てくるようなこともありますが、「頑張らない」という姿勢が楽にしてくれます。